
信貴山頂をドローンでじゃらん-じゃらん♪ 信貴山 撮影:Sky Face

歴史
古代の大和国平群郡平群郷の地である。古代豪族・平群氏の本拠地であり、平群神社、平群坐紀氏神社、平群石床神社などの延喜式内社が鎮座するのをはじめ、古墳64基が散在する。
中世後期には、しばしば大和国を動かす中心地となる。1536年(天文5年)に木沢長政が信貴山城を築城、後に大和に入った松永久秀もこれを補修して居城とし、大和攻略の拠点とした。久秀の滅亡後は城は廃城とされている。
沿革
- 1889年(明治22年)4月1日 – 町村制の施行により、平群郡西向村・櫟原村・椣原村・上庄村・梨本村・吉新村・三里村・白石畑村・平等寺村・下垣内村・鳴川村・福貴村・福貴畑村・久安寺村・信貴畑村・椹原村・越木塚村・若井村・西宮村・椿井村の区域をもって明治村(めいじむら)が発足。
- 1896年(明治29年)9月1日 – 平群郡明治村が改称して平群村(へぐりむら)となる。
- 1897年(明治30年)4月1日 – 平群郡平群村の所属郡が生駒郡に変更。
- 1970年(昭和45年)12月1日 – 町章を制定[1]。
- 1971年(昭和46年)2月1日 – 平群村が町制施行して平群町となる。
